。通りかかった私は立ち止まって耳を立てる。しかし言葉はほとんど聞き取れない。ただ人々の態度とおりおり聞こえる単語や、間投詞でおよその事件の推移を臆測《おくそく》し、そうして自分の頭の中の銀幕《スクリーン》に自製のトーキー「東京の屋根の下」一巻を映写するのである。
 それで「パリの屋根の下」の観客は、この東京の電車や四つ辻におけると同じような態度で、フランスの都の裏町を漫歩しつつその町の屋根の下に起こりつつあるであろうところの尋常|茶飯事《さはんじ》を見物してあるくのである。これは決してつまらないことではない。かくする事によって観客はほんとうのパリとフランスとその人間とをその正常の姿において認識することができるであろう。
 ルネ・クレールという作者の意図がどこにあるかはもちろん知るよしもないが、この発声映画は上記のような意味において私に発声映画というものの一つの可能性を教えてくれたものである。この先駆者の道を追って行けば日本語トーキーで世界的なものを作ることも不可能ではない。「ノン」の代わりに「いや」を插入《そうにゅう》し「ヴーザレヴォアル」のところへ「まあ見たまえ」をはめ込んでも効果に
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