も、これに比べてはおそらく茶番のようなものである。それからの後の場面で荒涼たる大雪原を渡ってくるトナカイの大群の実写は、あれは実に驚くべき傑作である。理屈なし説明なしに端的にすべての人の心を奪う種類のフィルムであり、活動映画というものの独自な領域を鮮明に主張したものである。絵ではもちろんのこと、いかなる言葉でもまた音楽でも、かくのごとき映画を説明することは不可能であろう。それにしてもこの映画に現われた人間の芝居がいかにしてあれほど愚鈍で不愉快であるかが不思議である。少なくも映画俳優としては人間は犬やトナカイの脚下にひざまずいて教えをこう必要がある。
これと連関して自分の常に感ずることは、映画に現われる「機械」の真実不真実による価値の懸隔である。古い映画では「メトロポリス」に現われた機械のばからしさなどが代表的である。機械文化の頂点を示すべき映画の中で、一人の職工は有り余っているべき動力の洪水《こうずい》の中にいながら、最も原始的なその筋肉エネルギーを極度に消費して大きなダイアルの針を回し、そうして、疲れ切って倒れ、そのために大破壊が起こったりする。あの魯鈍《ろどん》な機械に比べて「ベ
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