五

「三文オペラ」を見た。文明のどん底、東ロンドンの娼家《しょうか》の戸口から、意気でデスペラドのマッキー・メッサーが出てくる。その家の窓からおかみが置き忘れたステッキを突きだすのを、取ろうとすると、スルスルと仕込みの白刃が現われる。ドック近くの裏町の門々にたたずむ無気味な浮浪人らの前をいばって通り抜けて川岸へくると護岸に突っ立ったシルクハットのだぶだぶルンペンが下手《へた》な掛け図を棒でたたきながら Die Moriat von Mackie Messer を歌っている。伴奏に紙腔琴《しこうきん》をまわしているばあさんの横顔が象徴的である。背景には岸近くもやった船の帆柱の林立がある。掛け図には殺されて倒れている人や、ソホの火事場の粗末な絵の見えるのもちょっとした効果がある。ここの場面がいちばん昔の東ロンドンの雰囲気《ふんいき》を濃厚に現わしているように思われる。これと、ずっと後に警察で電話をかけたりする場面とはどうも全く別の世界のような気がする。ポリー母子《おやこ》がミリナーの店の前で飾り窓の中のマヌカンを見ている。そこへ近づくメッサーの姿が窓ガラスに映ってだん
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