ことのできない音である。いくらか似た音を求めれば、製材所の丸鋸《まるのこ》で材木を引き割るあの音ぐらいなものであろう。先年|小田原《おだわら》の浜べで大波の日にヘルムホルツの共鳴器を耳に当て波音の分析を試みたことがあったが、かなりピッチの高い共鳴器で聞くとチリチリチリといったように一秒間に十回二十回ぐらいの割合で断続する轢音《れきおん》が聞こえる、それがいくらかこの蝗群の羽音に似通《にかよ》っているのである。やはり、音の生成機巧に共通なところがあるからであろう。すなわち、浜べで無数の砂利《じゃり》が相打ち相きしるように無数の蝗の羽根が轢音を発している、その集団的効果があのように聞こえるのではないかと思われる。そういえば丸鋸で材木をひく時にもこれに似た不規則な轢音の急速な断続があるのである。
 この蝗の羽音は何を語るか。蝗は何を目的として何物に導かれてどこからどこへ移動するか。世界は自分らのためにのみできているとばかり思っているわれわれ愚かな人間は茫然《ぼうぜん》としてテントの小窓からこの恐ろしい生命のあらしをながめてため息をつくであろう。
 湖畔のフラミンゴーの大群もおもしろい見物《み
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