もの》である。一面におり立った群れの中に一か所だけ円形な空地があるのはどういうわけかと思って考えてみた。おそらくそこだけ湖底に凹所《おうしょ》があって鳥の足には深すぎるので、それでそこだけが明いているのだろうと想像された。もしそうだとすれば鳥の群れの写真から湖底の等深線の一つがわかるはずである。こういうことも実写映画のおもしろみの一つである。群集から少し離れた前面を二列に並んだ鳥の縦隊が歩調をそろえて進行するところがある。鳥はどういう気でなんのためにああいう事をやっているのか人間にはやはりわからない。
 この映画を見た晩に宅《うち》へ帰って夕刊を見ると早慶三回戦だかのグラウンドの写真が大きく出ている。それを見たとき自分は愕然《がくぜん》として驚いたのであった。場を埋《うず》むる人間の群れが、先刻見たばかりの映画中のフラミンゴーの群れとそっくりに見えたからである。もしやアフリカのフラミンゴーが偶然球戯場の空へ飛んで来て人間の群れを見おろしたとしたら、彼らにはやはりこの集団の意味はわからないであろう。実はこういう自分にも近ごろの野球戦に群がる人間の大群の意味は充分完全にはよくわからないので
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