光景が現われる。次には、とある店先のショーウィンドウの鎧戸《よろいど》が引き上げられる、その音のガーガーと鵞鳥のガーガーが交錯する。そうしてこの窓にヒロインの絵姿のビラがはってあるのである。これを彼《か》の「モロッコ」の冒頭に出て来るアラビア人と驢馬《ろば》のシーンに比べるとおもしろい。後者のほうがよほど垢《あか》が取れた感じがする。前者のほうは容易に説明のできる小細工のおもしろみであるに対して、後者のほうには一口には説明のできない深い暗示があり不思議なアトモスフェアがあるのである。ラート教授の下宿の朝食のトロストロースな光景はかなりよくできている。いつも鳴く小鳥が死んでいる。そうして教授の唯一の愛が奪われるのであるが、後に教授が女の家で泊まった朝、二人でコーヒーをのんでいるときに小鳥の声が聞こえることになっている。こういうふうの技巧で過去を現在に反射――対照する方法はこの監督のかなり得意な慣用手段であるように見える。たとえば同じようなスートケースが少なくも四五度現われて、それが皆それぞれ違った役目をつとめると同時にその物を通して過去をフラッシュバックして運命の推移を意識させる。またた
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