とえば教授の出勤時刻をしらせる時計の音が何度も出て来る。教場の光景も初めと終わりに現われそれが皆それぞれ全く変わった主人公の心境の背景として現われるのである。同じ女の絵はがきでも初めは生徒の手から没収したのを後には自分でお客に売り歩くことになっている。要するにこの映画ではこういうものがあまり錯雑し過ぎていた、なんとなく渾然《こんぜん》としない感じがする。これに比べると「モロッコ」の太鼓とラッパの一貫したモティフの繰り返しはよほど洗練されたものである。そう言えば「青い天使」の舞台や楽屋の間のシーンも視覚的効果としてやはり少しうるさすぎる感じがある。それが下宿屋の荒涼な環境との対比であるにしても少しあくが強すぎるような気がするがそこがドイツ向きなところかもしれない。ここの楽屋で始終影のようにつきまとう一人の道化師がある。これが不思議な存在である。断えず出入りしているが劇中の人には見えない聞こえない、ちょうど幽霊のような役目をつとめている。教授自身が道化師になって後にはこれが現われて来ない。これはおそらく教授のドッペルゲンガーのようなもので、そうして未来の悲運の夢魔であり、眼前の不安の予覚で
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