的な映画を見せてくれる人はないものかと思うのである。
パラマウント・ニュースのようなものの組み合わせは場合によっては、偶然ではあるが、前述の連句的の効果を持ちうる。近ごろ朝日グラフで、街頭のスケッチを組み合わせたページが出るが、ああいうものを巧みに取り合わせて「連句」にすることもできる。
器械の活動美を取り入れたフィルムもあるが、やはりこしらえものは実に空疎でおもしろくない。たとえば「メトロポリス」に現われる器械などは幼稚で愚鈍で、無意味というよりは不愉快である。これに反して平凡な工場のリアルな器械の映画には実物を見るとはまたちがった深い味がある。見なれた平凡な器械でも適当に映出されるとそれが別な存在として現われ、実物では見のがしている内容が目に飛び込んで来るのである。
実物と同じに見せるということは絵画の目的でないと同様に映画の目的でもない。実物を見たのでは到底発見することのできないものを発見させるところに映画の特長があるのではないか。たとえばわれわれが自身でライオン狩りの現場に臨んだとしたら、どうして草原のそよぎなどを味わうことができるであろうか。殺されて行く獅子《しし》を哀
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