れむ心を生じるだけの余裕があるであろうか。「なんの権利があって人間はこの自由な野の住民を殺戮《さつりく》するだろう」たとえばそんな疑いを起こすだけの離れた立場に身を置きうるであろうか。
映画に下手《へた》な天然色を出そうとする試みなども愚かなことのように思われる。そうして芝居の複製に過ぎないようなトーキーもやはり失敗であるとしか思われない。言うまでもなく独立な芸術としての有声映画の目的は、やはり他にすでにあるものの複製ではなくて、むしろ現実にはないものを創造するのでなければなるまい。おりおり余興に見せられる発声漫画などはこの意味ではたしかに一つの芸術である。品《ひん》は悪いが一つの新しい世界を創造している。これに反して環《たまき》夫人の独唱のごときは、ただきわめて不愉快なる現実の暴露に過ぎない。
絵画が写実から印象へ、印象から表現へ、また分離と構成へ進んだように映画も同じような道をすすむのではないか。そうして最後に生き残る本然の要素は結局自分の子供のころの田舎《いなか》の原始的な影法師に似たものになるのではないか。
欧州のどこかの寄席《よせ》で或《あ》るイタリア人の手先で作り出す
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