たとえばウェルズの描いた火星の人間などを比較しても、人間の空想の可能範囲がいかに狭小貧弱なものであるかを見せつけられるような気がする。
これを見た目で「素浪人忠弥《すろうにんちゅうや》」というのをのぞいて見た。それはただ雑然たる小刀細工や糊細工《のりざいく》の行列としか見えなかった。ダイアモンドを見たあとでガラスの破片を見るような気がした。しかし観客は盛んに拍手を送った。中途から退席して表へ出《い》で入り口を見ると「満員御礼」とはり札がしてあった。「唐人お吉」にしても同様であった。
これらの邦劇映画を見て気のつくことは、第一に芝居の定型にとらわれ過ぎていることである、書き割りを背にして檜舞台《ひのきぶたい》を踏んでフートライトを前にして行なって始めて調和すべき演技を不了簡《ふりょうけん》にもそのままに白日のもと大地の上に持ち出すからである。それだから、していることが新米のファンの目には気違いとしか思われない。ちょん髷《まげ》をつけたわれらの祖父母|曾祖父母《そうそふぼ》とはどうしても思われない。第二には群衆の使い方が拙である。おおぜいの登場者の配置に遠近のパースペクチーヴがなく、粗密のリズムがないから画面が単調で空疎である。たとえば大評定の場でもただくわいを並べた八百屋《やおや》の店先のような印象しかない。この点は舶来のものには大概ちゃんと考慮してあるようである。第三にはフィルムの毎秒のコマ数によっておのずから規定された速度の制約を無視して、快速な運動を近距離から写した場面が多い。そういうところはただ目まぐるしいだけで印象が空疎になるばかりでなくむしろ不快の刺激しか与えない。これはフィルムの上における速度の制限を考慮して、快速度のものは適当の距離から撮《と》るべきである。これも舶来ものを参照すればわかるであろう。第四にはセットの道具立てがあまり多すぎて、印象を散漫にしうるさくする場合が多い。たとえば「忠弥《ちゅうや》」の貧民窟《ひんみんくつ》のシーンでもがそうである。セットの各要素がかえって相殺《そうさい》し相剋《そうこく》して感じがまとまらない。これらの点についても、監督の任にある人は「俳諧《はいかい》」から学ぶべきはなはだ多くをもつであろう。それからまた県土木技師の設計監督によるモダーン県道を徳川時代の人々が闊歩《かっぽ》したり、ナマコ板を張った塀《へい》の
前へ
次へ
全15ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング