して」の句では戸外に荒るる騒音の中から盥《たらい》に落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。またたとえば芭蕉《ばしょう》は時鳥《ほととぎす》の声により、漱石《そうせき》は杭《くい》打つ音によって広々とした江上の空間を描写した。「咳声《しわぶき》の隣はちかき縁づたい」に「添えばそうほどこくめんな顔」は非同時性《アシンクローネ》モンタージュであり、カメラの回転追跡(Nachpanoramieren)である。こういう例をあげれば際限はない。他日適当の場所で細説したいと思う。
 録音と発音の機械的改良が進展して来る一方でまたトーキーファンの聴覚が訓練されて来れば、発声映画の可能性はさらに拡張されるであろう。点滴の音によってその室の広さを感じ、雷鳴の響きによって山の近さを感じることも可能になるであろう。
 ともかくも光像と音響は単に並行的に使用さるべきものではなく、対位法的、調音的に編集さるべきものである。並行的使用は両方の要素を相殺し、対位法的編成は二つのものを生かし強調するのである。

     有色映画

 音声を得た映画がさらに色彩を獲得することによっていかなる可能性を展
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