心持ちのニュアンスの象徴としては音のほうが画像よりもいっそう有力でありうるということになる。
 たとえば「人生案内」の最後の景において機関車のほえるようなうめくような声が妙に人の臓腑《ぞうふ》にしみて聞こえる。「パリの屋根の下」で二人の友がけんかをしようとするときに、こわれたレコードのガーガーと鳴り出すその非音楽的な不快な騒音が異常に象徴的な効果をもって場面のやまを頂上へと押し上げる。
 象徴的であるがゆえにまた音響はライトモチーヴとしても有効に使用される。「モロッコ」における太鼓とラッパ、「青い天使」における時鐘の音などがそれである。このあとの映画で、不幸なるラート教授が陋巷《ろうこう》の闇《やみ》を縫うてとぼとぼ歩く場面でどことなく聞こえて来る汽笛だかなんだかわからぬ妙な音もやはりそういう意味で使われたものであろう。運命ののろいの声とでもいうような感じを与えるものである。
 俳諧連句《はいかいれんく》においては実に巧妙にこれら音響のモンタージュ手法が採用されている。前掲「灰汁桶《あくおけ》」の句ではしずくの点滴の音がきりぎりすの声にオーバーラップし、「芭蕉《ばしょう》野分《のわき》
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