である。この結合によって生じるものはもはや決して「花」ではない全然別の次元の世界に属するものであり、そうして、それはただその二つあるいは三つの花のモンタージュによってのみ現わされうるものである。それでこそある人のある日に生けたささげと女郎花《おみなえし》と桔梗《ききょう》と青竹筒は一つの芸術的創造のモンタージュ的視像となりうるのである。
 生け花に限らず、造園でも同様である。砂を敷いた平庭に数個の石を並べるだけでもその空間的モンタージュのリズムによって、そこに石の言葉でつづられた、しかも石によってのみつづられうる偉大なる詩が生じるのである。また一枚の浮世絵からでもわれわれはいろいろなモンタージュの手法を発見するであろう。エイゼンシュテインは特に写楽《しゃらく》のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的《そうこくてき》モンタージュを論じているが、われわれは広重《ひろしげ》でも北斎《ほくさい》でも歌麿《うたまろ》でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽《たる》の中から富士を見せたり、大木の向こうに小さな富士を見せたりするシリーズは言わば富士をライトモチ
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