しても細部としても深い感銘を印象されることが大切である。それにはイデオロギーの教養に無関係に世界の人間の心を捕えるものがなければならない。そうしてそれはロシア人にもフランス人にも日本人にも共通に通用するものでなければならない。そうだとすれば、それはまた必ずしも映画以来はじめて発明されたものではなくして、少なくも原理としてはすでにあらゆる他の芸術に存在していると同じような指導原理に支配されるものであろうという事は想像してもさしつかえがないであろう。実際プドーフキンでもエイゼンシュテインでも、ボラージュでもそれらの人々のモンタージュに関する論述を読むに当たって、その記述の表面に現われた具象的なものを適当にムタティス・ムタンディスに置き換えさえすればそれはほとんど完全に他の芸術の分野に適用されうることを見いだすであろう。これはむしろ当然なことである。主題の分析、選択、編成という過程にはすべての芸術に共通なものがなければならないからである。
まず手近なところでたとえば生け花の芸術を考えてみる。この場合は簡単に口で言われるような「主題」はないかもしれないが、花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテ
前へ
次へ
全59ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング