よいものだと思われる。この言葉のもてはやされる以前に米のグリフィスや仏のガンスなどの実行したいろいろの独創的な効果的手法は畢竟《ひっきょう》モンタージュの先駆的実例を提供するものである。
しかしこの言葉の内容が細かに分析されるようになり、「併行モンタージュ」「比喩《ひゆ》モンタージュ」等種々の型式が区別されるようになってからはこれらモンタージュの理論的の討議がいろいろと行なわれるようになって来た。たとえばエイゼンシュテインはその「映画の弁証法」において、プドーフキンらのモンタージュ論の基礎的概念を批評し、これに代わるべき弁証法的モンタージュ論を提出し、のみならずこれに基づいた作品をこしらえようとした。しかし彼のこれらの試みはまた一派の人からは形式主義象徴主義に堕したものとして非難もされている。しかしこういう議論は映画理論家にとって、また特にソビエトの国是の上から重要かもしれないが、一般映画観賞者の立場からは、たいした意義をもたない事である。われわれにとってはその映画がおもしろいことが第一義である。八巻なり十巻なりの映写を退屈することなしに見ていられることが肝要であり、見たあとで全体と
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