景やセットの同じものを便宜上一度にとってしまうという事も必要になって来る。建築の場合に鋳物は鋳物、ガラスはガラスというふうに別々にまとめて作らるると同様である。
 こういうふうにしてできあがった部分品を今度は組み立てて行く「総合」「取り付け」の仕事がこれからようやく始まる。すなわち芸術家としての映画監督の主要な仕事としてのいわゆるモンタージュの芸術が行なわれるのである。
 シナリオを書くまでは必ずしも映画の技術に精通しない素人《しろうと》でも多少「映画的表現」すなわち「映画の言葉」を心得た人ならばある程度まではできないことはない。なんとなればそれは文学から映画への途中の一段階であって、まだ片足だけしか映画の領域に踏み込んでいないからである。それゆえにたとえば「貧しい部屋《へや》の中で」とか「歓喜に満ちて」とか、そんな漠然《ばくぜん》とした言葉を使ってもいいかもしれない。しかしいよいよ撮影を実行する前にはこれでは全く役に立たない。「貧しさ」を「映画の言葉」すなわち、これに相当する視覚的な影像に翻訳しなければならない。たとえば極貧を現わすために水道の止まった流しに猫《ねこ》の眠っている画面
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