の計測にも必ずしも秤《はかり》はいらない。われわれの筋肉の緊張感覚がそれに役立つ。
これらの原始的なしかし驚嘆すべき計量単位の巧妙な系統によって、われわれの祖先は遠い昔から立派な力学的世界像を構成していた。近ごろになってわれわれはそれを少しばかり整理しみがき上げて、そうしていかめしい学という名をつけたのである。
さて、これらの原始的な世界像構成要素が映画ではどういうふうに置き換えられて代表されているかを考えてみる。
まず「質量」はどうなっているか。映像にはもちろん普通の意味での質量は欠けている。影と幽霊には目方はないのである。しかし映画の観客は各自の想像によってそれぞれの映像に相応する質量を付加し割り当てながら見て行く。それで、もしも映画のトリックによって一人の男が三井寺《みいでら》の鐘を引きちぎって軽々と片手でさし上げれば、その男は異常な怪力をもっているように見えるのである。また、大きな岩と見えるものが墜落して来て、その下敷きになって一人の人間が隠れればその人はほんとうに圧死したものと考えられるのである。それは影に質量がなく従って運動量《モーメンタム》のないことを忘れているから
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