いるかを考えてみるのが一つの仕事である。
 映画の観客は必ずしも学問としての物理学を学んではいない。しかしすべての人間は、皆無意識に物理的力学的に世界像を把握《はあく》する事を知っている。すなわちまず三次元の空間の幾何学に一次元の時間を加えた運動学的《カイネマチカル》の世界を構成し、さらにこれに質量あるいは力の観念を付加した力学的《ダイナミカル》の世界像を構成し、そうして日常の生活をこれによって規定していることは事実である。もしも、これがなかったら、われわれは食膳《しょくぜん》に向かって箸《はし》を取り上げることもできないであろうし、門の敷居をまたぐこともできないであろう。
 空間の概略な計測には必ずしもメートル尺はいらない。人間の身体各部が最初の格好な物さしである。手の届かぬ距離の計測には両眼の距離が基線となって無意識の間に巧妙な測量術が行なわれる。時間の測定には必ずしも時計はいらない。短い時間には脈搏《みゃくはく》が尺度になり、もう少し長い時間の経過は腹の減り方や眠けの催しが知らせる。地下の坑道にいて日月|星辰《せいしん》は見えなくてもこれでいくぶんの見当はわかるであろう。質量と力
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