合から成り立っていることである。毎秒にたとえば十六コマずつを撮影するとして、そのひとコマがまたシャッターの回転速度とそのセクトルの大きさによって規定されたある一定の長さの照射時間中に起こっただけのすべての事がらの重複した像を現わしていることである。これがために、いわゆるストロボスコープ的効果によって、進行せる自動車の車輪だけが逆回りをしたりするような怪異が出現し、舞踊する美人が千手観音《せんじゅかんのん》に化けたりするのである。そうして、ひとコマの照射時間にその物自身の線長《リニアー・ジメンション》に対して比較さるべきほどの距離を動くすべてのものはもはや夢のようにぼやけてしか現われない。この明白な事実すら理解しないらしい監督の作品に時々出会うのに驚かされるのである。
このような影像の間欠的なことに起因するフィルムの世界の特異性も、現在では利用されようとはせず、かえってむしろできるだけ避けようとして、そのほうに苦心が費やされているようである。しかしここにもいろいろな未来の可能性が伏在するであろう。
フィルムの露出が間欠的な上に、さらに撮影さるべき実体の照明を週期的にして両者の週期を加
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