き与件は一つもないのである。
 これと反対に、現世で予測のできない事がらが逆転映画の世界では確定的になるから妙である。たとえば一本の鉛筆を垂直に机上に立てて手を離せば鉛筆は倒れるが、それがどの方向に倒れるかはいわゆる偶然が決定するのみで正確な予言は不可能である。しかし時を逆行させる場合にはいろいろな向きに倒れた鉛筆がみんな垂直に起き直るから事がらは簡単になる。
 時の逆行を現実化する映画の世界は、これと比較することによってわれわれの世界像における「時」の意義を徹底的に理解させるに格好な対照となるのである。そういう比較によって始めてわれわれの哲学も宗教も科学もその完全な本体を現わすであろう。
 これほどに深い意義のある逆転映画を見せられる機会があまりにもまれなのは遺憾なことである。この驚くべき技巧がもっともっと自由に応用され、観客が次第にそれに慣らされて、そうしてそれに固有な効果を十二分に感受することのできる日が来るとしたら、その日から人間の子孫にとっては全く新しい世界が生まれるであろう。
 映画における「時」について、もう一つ忘れてならないことは、フィルムの記録が連続的でなくて断片の接
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