殊な歪を生じたために、表層岩石の内部に小規模の地すべりを起こし、従って地鳴りの現象を生じていたのが、近年に至ってその歪が調整されてもはや変動を起こさなくなったのではないかという事である。
 この作業仮説の正否を吟味しうるためには、われわれは後日を待つほかはない。もし他日この同じ地方に再び頻繁《ひんぱん》に地鳴りを生ずるような事が起これば、その時にはじめてこの想像が確かめられる事になる。しかしそれまでにどれほどの歳月がたつであろうかという事については全く見当がつかない。ただ漠然《ばくぜん》と、上記三つの大地震の年代差から考えて、今後数十年ないし百年の間に起こりはしないかと考えられる強震が実際起こるとすれば、その前後に何事かありはしないかという暗示を次の代の人々に残すだけの事である。しかしもし現代の読者のうちでこれと類似の怪異伝説あるいは地鳴りの現象についてなんらかの資料を教えてくれる人でもあれば望外の幸いである。

       二

 次に問題にしたいと思う怪異は「頽馬《たいば》」「提馬風《たいばふう》」また濃尾《のうび》地方で「ギバ」と称するもので、これは馬を襲ってそれを斃死《へいし》させる魔物だそうである。これに関する自分の知識はただ、磯清《いそきよし》氏著「民俗怪異篇《みんぞくかいいへん》」によって得ただけであって、特に自分で調べたわけではないが、近ごろ偶然この書物の記事を読んだ時に、考えついた一つの仮説がある。それは、この怪異はセントエルモの火、あるいはこれに類似の空中放電現象と連関したものではないかという事である。
 右の磯氏の記述によるとこのギバの現象には二説ある。その一つによると旋風のようなものが襲来して、その際に「馬のたてがみが一筋一筋に立って、そのたてがみの中に細い糸のようなあかい光がさし込む」と馬はまもなく死ぬ、そのとき、もし「すぐと刀を抜いて馬の行く手を切り払う」と、その風がそれて行って馬を襲わないというのである。もう一つの説によると、「玉虫色の小さな馬に乗って、猩々緋《しょうじょうひ》のようなものの着物を着て、金の瓔珞《ようらく》をいただいた」女が空中から襲って来て「妖女《ようじょ》はその馬の前足をあげて被害の馬の口に当ててあと足を耳からたてがみにかけて踏みつける、つまり馬面にひしと組みつくのである」。この現象は短時間で消え馬はたおれるというのである。この二説は磯氏も注意されたように相互に類似している。これを科学的な目で見ると要するに馬の頭部の近辺に或《あ》る異常な光の現象が起こるというふうに解釈される。
 次に注意すべきは、この怪異の起こる時の時間的分布である。すなわち「濃州《のうしゅう》では四月から七月までで、別して五六月が多いという。七月になりかかると、秋風が立ち初める、とギバの難は影を隠してしまう。武州《ぶしゅう》常州《じょうしゅう》あたりでもやはり四月から七月と言っている」。また晴天には現われず「晴れては曇り曇っては晴れる、村雲などが出たりはいったりする日に限って」現われるとある。また一日じゅうの時刻については「朝五つ時前(午前八時)、夕七つ時過ぎ(午後四時)にはかけられない、多くは日盛りであるという」とある。
 またこの出現するのにおのずから場所が定まっている傾向があり、たとえば一里塚《いちりづか》のような所の例があげられている。
 もう一つ参考になるのは、馬をギバの難から救う方法として、これが襲いかかった時に、半纏《はんてん》でも風呂敷《ふろしき》でも莚《むしろ》でも、そういうものを馬の首からかぶせるといいということがある。もちろん、その上に、尾の上の背骨に針を打ち込んだりするそうであるが、このようにものをかぶせる事が「針よりも大切なまじない」だと考えられている。またこれと共通な点のあるのは、平生のギバよけのまじないとして、馬に腹当てをさせるとよい、ただしそれは「大津東町上下仕合」と白く染めぬいたものを用いる。「このアブヨケをした馬がギバにかけられてたおれたのを見た事がないと、言われている」。
 別の説として美濃《みの》では「ギバは白虻《しろあぶ》のような、目にも見えない虫だという説がある、また常陸《ひたち》ではその虫を大津虫と呼んでいる。虫は玉虫色をしていて足長蜂《あしながばち》に似ている」という記事もある。
 以上の現象の記述には、なんらか事実に基づいたものがあるという前提を置いて、さて何かこれに類似した自然現象はないかと考えてみると、まず第一に旋風が考えられる。もし旋風のためとすればそれは馬が急激な気圧降下のために窒息でもするか内臓の障害でも起こすのであろうかと推測される。しかしそれだけであってこのギバの他の属性に関する記述とはなんら著しい照応を見ない。もっとも旋風は多くの場合に雷雨
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