こった事実の記述のほうに念が入り過ぎて、つい象がおこるに至った原因のほうの説明を忘れがちになるのである。これを聞く人のほうでももちろん象の恐るべき行為で頭の中がいっぱいになってしまって、象をおこらせた人間の行為などはとても考えている余裕のないのが普通であろう。たまにはそこまで立ち入って考えうるだけの能力をもった人があっても、直接なんら利害の関係のない象のためにそれを考えてやるだけの暇《いとま》をもたないのが通例であろう。
それで結局、なんらの異議もなくこの象は狂気しているという事が人間の仲間から仲間へと伝えられる。その間に象の狂暴な行為はいろいろに誤り伝えられるが、そのたびごとに少しずつ悪いほうへ悪いほうへと変化して行くのが通則である。
この善良な人間たちは暇に任せて象のその後の行動に注目する。そうして彼らの期待に合うような象の行為を発見する事の満足を求めようとするのである。その満足が得られない場合には、それが得られそうな機会を積極的に作る事さえいとわない。なるほどこいつは気違いだという事がふに落ちるまでは安心ができないのである。考えてみるとはなはだ不可思議な心理ではあるが、畢竟《
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