「歌う炎」を作ろうとして誤って爆発させたり、幻燈器械や電池を作りそこなったりしていたのである。そうして、中学校から高等学校へ移るまぎわに立ったときに、なんの躊躇《ちゅうちょ》もなく生涯《しょうがい》の針路を科学のほうに向けたのであった。そうして、今になって考えてみても自分の取るべき道はほかには決してなかったのである。思うにそのころの自分にとっては文学はただ受働的な享楽の対象に過ぎなかったが、科学の領域は自分の将来の主働的な生活に生きて行くためにいちばん適当な世界のように思われたのであった。
 大学を卒業して大学院に入り、そうして自分の研究題目についていわゆるオリジナル・リサーチを始めてほんとうの科学生活に入りはじめたころに、偶然な機会でまた同時に文学的創作の初歩のようなものを体験するような回り合わせになった。そのころの自分の心持ちを今振り返って考えてみると、実に充実した生命の喜びに浸っていたような気がする。一方で家庭的には当時いろいろな不幸があったりして、心を痛め労することも決して少なくはなかったにかかわらず、少なくも自分の中にはそういうこととは係り合いのない別の世界があって、その世界
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