のみが自分の第一義的な世界であり、そうして生きがいのある唯一の世界であるように思われたものらしい。その世界では「作り出す」「生み出す」ということだけが意義があり、それが唯一の生きて行く道であるように見えた。そうして、日々何かしら少しでも「作る」か「生む」かしない日は空費されたもののように思われたのである。もちろん若いころには免れ難い卑近な名誉心や功名心も多分に随伴していたことに疑いはないが、そのほかに全く純粋な「創作の歓喜」が生理的にはあまり強くもないからだを緊張させていたように思われる。全くそのころの自分にとっては科学の研究は一つの創作の仕事であったと同時に、どんなつまらぬ小品文や写生文でも、それを書く事は観察分析発見という点で科学とよく似た研究的思索の一つの道であるように思われるのであった。
その後三十年に近い生涯《しょうがい》の間には自分の考えにもいろいろの変遷がありはしたが、こういう過去の歴史の影響はおそらく生命の終わる日まで自分につきまとって離れることはできないであろうと思われる。
それはとにかく、以上のような経歴をもつ一私人が「文学」と「科学」とを対立させてながめる時に
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