属するために、明白な陳套《ちんとう》な語で言い現わされるような感情の動揺を感じることはないであろうが、真なるものを把握《はあく》することの喜びには、別に変わりはないであろう。
 それだのに文学と科学という名称の対立のために、因襲的に二つの世界は截然《せつぜん》と切り分けられて来た。文学者は科学の方法も事実も知らなくても少しもさしさわりはないと考えられ、科学者は文学の世界に片足をも入れるだけの係わりをもたないで済むものと思われて来たようである。
 しかし二つの世界はもう少し接近してもよく、むしろ接近させなければならないように自分には思われるのである。

     文学と科学の国境

 科学の世界には義理も人情もない。文学の世界にあるものは義理と人情のほかのものと言えばそれの反映である。しかし、科学の世界は国境の向こうから文学の世界に話しかける、その話はわれわれにいろいろのことを考えさせる。
 たとえば昆虫《こんちゅう》の生活といったようなものは人間の義理人情とはなんの関係もないことである。「植物社会学」の教科書の記事は、人間の社会生活と一糸の連絡もない。しかし、そういうものを読んだことの
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