も、それが真の記録であるゆえに有益であり同時に美しいというのである。ここまではおそらく多くの読者も少なくも多少の条件付きでは首肯されるであろうと思われる。しかし、さらに一歩を進めて、科学上の傑出した著述はすべて芸術であると言おうとすれば、これにはおそらく容易に同感を表しかねる人が多いであろうと思われる。こういう見方はしかし、実はそれほど無稽《むけい》なものでないということは、すでに自分のみならず、他の人もしばしば論じたことである。
 手近な例を取ってみても、ファーブルの昆虫記《こんちゅうき》や、チンダルの氷河記を読む人は、その内容が科学であると同時に芸術であることを感得するであろう。ダーウィンの「種の始源」はたしかに一つの文学でもある。ウェーゲナーの「大陸移動論」は下手《へた》の小説よりは、たしかに芸術的である。そうしてまた、ある特別な科学国の「国語」の読める人にとっては、アインシュタインの相対性原理の論文でも、ブロイーの波動力学の論文でも、それを読んで一種無上の美しさを感じる人があるのをとがめるわけにはゆかないであろうと思う。ただ事がらが非情の物質と、それに関する抽象的な概念の関係に
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