事はほとんど問題にも何もならないことであって、それらの仮想人物によって代表された人間の定型と、叙述された事件の定型はたしかに存在したのである。これはあらゆる「史実」よりもはるかに確実であって疑う余地を存しない。これはその書が後代の偽作でない限り言われることである。作者がいかに豊富なる想像力の所有者であってもその時代を偽り描くということは到底不可能な仕事だからである。それで、ちょうど、ある弾丸の描く弾道はまた同時に他のすべての可能な弾道を代表するように、一遊星の軌道はまさしく天体引力の方則を代表するように、光源氏《ひかるげんじ》や葵《あおい》の上《うえ》の行動はまさしくその時代の男女の生活と心理の方則を代表するものとも考えられる。こういう意味において、源氏物語や落窪物語《おちくぼものがたり》のようなものは、中等学校の歴史教科書よりも、文化国の大新聞の記事よりも、はるかに忠実な記録であり実証的な資料として役立つものである。おもしろいことには、そういう価値の多少がまたほとんど直ちに普通にいわゆる文学的芸術的価値の多少と一致するように思われるのである。
 歴史は繰り返す。方則は不変である。それ
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