し実は産地の旱魃《かんばつ》のためであった。近ごろの新聞には、亭主《ていしゅ》が豆腐を一人で食ってしまって自分に食わせないという理由で自殺した女房のことが伝えられた。まさかこれほどではないまでも歴史の中にはこれに類するものが存外にたくさんあるであろうと想像される。
 また一方で歴史と称するものは通例王者、勝利者、支配者の歴史であって、人間の歴史としてははなはだ物足りないものである。少なくも人間の歴史はただその中に偶然的に織り込まれているに過ぎない。歴史を読むのみではわれわれは祖先民族の生活も心理もきわめておぼろげにしかうかがうことができない。
 この欠陥を補うものはまず第一に個人の日記、随感録のごときものである。そういうものが後代に愛読され尊重されるのは、必ずしもそれが「文章」であるためではなくて、それが「記録」であるためであろう。殿上の名もない一女官がおぼつかない筆で書いた日記体のものでも、それが忠実な記録であるために実証的の価値があり同時にそこに文学としての価値を生じるものと思われる。
 第二にはいろいろの物語小説の類である。その中に現われる人物が実際にあったとか、なかったとかいう
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