ゆえに過去の記録はまた将来の予言となる。科学の価値と同じく文学の価値もまたこの記録の再現性にかかっていることはいうまでもない。
それのみではない。科学が未知の事象を予報すると同様に、文学は未来の新しい人間現象を予想することも可能である。
想像力の強い昔の作者の予想した物質文明機関で現代にすでに実現されているものがはなはだ多い。電燈でも、飛行機でも、潜水艇でもまたタンク戦車のごときものすら欧州大戦よりずっと以前に小説家によって予想されている。市井の流行風俗、生活状態のようなものはもちろん、いろいろな時代思潮のごときものでも、すぐれた作者の鋭利な直観の力で未然に洞察《どうさつ》されていた例も少なくないであろう。未来の可能性は、それがどんなに現在の凡人に無稽《むけい》に見えても実は現在の可能性のほんのわずかの延長にしか過ぎないからである。人間の飽くことなき欲望がこの可能性の外被を外へ外へと押して行くと、この外被は飴《あめ》のようにどこまでもどこまでも延長して行くのである。これを押し広げるものが科学者と文学者との中の少数な選ばれたる人々であるかと思われる。
芸術としての文学と科
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