「明治文庫」「文芸倶楽部《ぶんげいくらぶ》」というような純文芸雑誌が現われて、露伴《ろはん》紅葉《こうよう》等多数の新しい作家があたかもプレヤデスの諸星のごとく輝き、山田美妙《やまだびみょう》のごとき彗星《すいせい》が現われて消え、一葉《いちよう》女史をはじめて多数の閨秀作者《けいしゅうさくしゃ》が秋の野の草花のように咲きそろっていた。外国文学では流行していたアーヴィングの「スケッチ・ブック」やユーゴーの「レ・ミゼラブル」の英語の抄訳本などをおぼつかない語学の力で拾い読みをしていた。高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石先生に俳句を作ることを教わったが、それとてもたいして深入りをしたわけではなかった。
自分の少青年時代に受けた文学的の教育と言えば、これくらいのことしか思い出されない。そうして、その後三十余年の間に時おり手に触れた文学書の、数だけはあるいは相当にあるかもしれないが、自分の頭に深い強い印象を焼き付けたものと言ってはきわめて少数であるように思われる。日本の作家では夏
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