それは乾燥したさわやかな暑さとちがって水蒸気で飽和された重々しい暑さであった。「いつでもまるで海老《えび》をうでたように眼の中まで真赤になっていた」という母の思い出話をよく聞かされた。もっとも虫捕りに涼しいのもあった。朝まだ暗いうちに旧城の青苔《あおごけ》滑らかな石垣によじ上って鈴虫の鳴いている穴を捜し、火吹竹で静かにその穴を吹いていると、憐れな小さな歌手は、この世に何事が起ったかを見るために、隠れ家の奥から戸口に匍《は》いだしてくる。それを待構えた残忍な悪太郎は、蚊帳《かや》の切れで作った小さな玉網でたちまちこれを俘虜《ふりょ》にする。そうして朝の光の溢るる露の草原を蹴散らして凱歌をあげながら家路に帰るのである。
 中学時代に、京都に博覧会が開かれ、学校から夏休みの見学旅行をした。高知から三、四百トンくらいの汽船に寿司詰になっての神戸までの航海も暑い旅であった。荷物用の船倉に蓆《むしろ》を敷いた上に寿司を並べたように寝かされたのである。英語の先生のHというのが風貌魁偉《ふうぼうかいい》で生徒からこわがられていたが、それが船暈《ふなよい》でひどく弱って手ぬぐいで鉢巻してうんうんうなって
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