いた。それでも講義の時の口調で「これではブラックホールの苦しみに優るとも劣ることはない」といって生徒を笑わせた。当時マコーレーのクライヴ伝を講じていて、ブラックホールの惨劇が一同の記憶に新鮮であったのである。
酷寒の季節に酷暑に遭った例がある。高等学校時代のある冬休みに大牟田《おおむた》炭坑を見学に行った時のことである。冬服にメリヤスを重ね着した地上からの訪問者には、地下増温率によって規定された坑内深所の温度はあまりに高過ぎた。おまけに所々に蒸気機関があり、そのスチームパイプが何本も通っているのである。坑夫等はもちろん裸体で汗にぬれた膚《はだ》にカンテラの光を無気味に反映していた。坑内では時々人殺しがある。しかし下手人は決して分らない。こんな話を聞かされたりして威《おど》されていたために、いっそうの暑さを感じたのかもしれない。やっと地上へ出たときに白日の光の有難味《ありがたみ》を始めて覚えたのである。
高等学校を卒業していよいよ熊本を引上げる前日に保証人や教授方に暇《いとま》ごいに廻った。その日の暑さも記憶の中に際立《きわだ》って残っているものである。卒倒しそうになると氷屋へはいっ
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