、あとで聞いたところによると、先生が海苔巻《のりまき》にはしをつけると自分も海苔巻を食う。先生が卵を食うと自分も卵を取り上げる。先生が海老《えび》を残したら、自分も海老を残したのだそうである。先生の死後に出て来たノートの中に「Tのすしの食い方」と覚え書きのしてあったのは、この時のことらしい。
千駄木《せんだぎ》へ居を定められてからは、また昔のように三日にあげず遊びに行った。そのころはやはりまだ英文学の先生で俳人であっただけの先生の玄関はそれほどにぎやかでなかったが、それでもずいぶん迷惑なことであったに相違ない。きょうは忙しいから帰れと言われても、なんとか、かとか勝手な事を言っては横着にも居すわって、先生の仕事をしているそばでスチュディオの絵を見たりしていた。当時先生はターナーの絵が好きで、よくこの画家についていろいろの話をされた。いつだったか、先生がどこかから少しばかりの原稿料をもらった時に、さっそくそれで水彩絵の具一組とスケッチ帳と象牙《ぞうげ》のブックナイフを買って来たのを見せられてたいそううれしそうに見えた。その絵の具で絵はがきをかいて親しい人たちに送ったりしていた。「猫《ねこ
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