里の海岸で遊んでいたので、退屈まかせに長たらしい手紙をかいてはロンドンの先生に送った。そうして先生からのたよりの来るのを楽しみにしていた。病気がよくなって再び上京し、まもなく妻をなくして本郷五丁目に下宿していたときに先生が帰朝された。新橋《しんばし》駅(今の汐留《しおどめ》)へ迎いに行ったら、汽車からおりた先生がお嬢さんのあごに手をやって仰向かせて、じっと見つめていたが、やがて手をはなして不思議な微笑をされたことを思い出す。
帰朝当座の先生は矢来町《やらいちょう》の奥さんの実家|中根《なかね》氏邸に仮寓《かぐう》していた。自分のたずねた時は大きな木箱に書物のいっぱいつまった荷が着いて、土屋《つちや》君という人がそれをあけて本を取り出していた。そのとき英国の美術館にある名画の写真をいろいろ見せられて、その中ですきなのを二三枚取れと言われたので、レイノルズの女の子の絵やムリリョのマグダレナのマリアなどをもらった。先生の手かばんの中から白ばらの造花が一束出て来た。それはなんですかと聞いたら、人からもらったんだと言われた。たしかその時にすしのごちそうになった。自分はちっとも気がつかなかったが
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