》」以後には橋口五葉《はしぐちごよう》氏や大塚楠緒子《おおつかなおこ》女史などとも絵はがきの交換があったようである。象牙のブックナイフはその後先端が少し欠けたのを、自分が小刀で削って形を直してあげたこともあった。時代をつけると言ってしょっちゅう頬《ほお》や鼻へこすりつけるので脂《あぶら》が滲透《しんとう》して鼈甲色《べっこういろ》になっていた。書斎の壁にはなんとかいう黄檗《おうばく》の坊さんの書の半折《はんせつ》が掛けてあり、天狗《てんぐ》の羽団扇《はうちわ》のようなものが座右に置いてあった事もあった。セピアのインキで細かく書いたノートがいつも机上にあった。鈴木三重吉《すずきみえきち》君自画の横顔の影法師が壁にはってあったこともある。だれかからもらったキュラソーのびんの形と色を愛しながら、これは杉《すぎ》の葉のにおいをつけた酒だよと言って飲まされたことを思い出すのである。草色の羊羹《ようかん》が好きであり、レストーランへいっしょに行くと、青豆のスープはあるかと聞くのが常であった。
「吾輩《わがはい》は猫である」で先生は一足飛びに有名になってしまった。ホトトギス関係の人々の文章会が時々先
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