生の宅《うち》で開かれるようになった。先生の「猫」のつづきを朗読するのはいつも高浜《たかはま》さんであったが、先生は時々はなはだきまりの悪そうな顔をして、かたくなって朗読を聞いていたこともあったようである。
自分が学校で古いフィロソフィカル・マガジンを見ていたらレヴェレンド・ハウトンという人の「首つりの力学」を論じた珍しい論文が見つかったので先生に報告したら、それはおもしろいから見せろというので学校から借りて来て用立てた。それが「猫《ねこ》」の寒月《かんげつ》君の講演になって現われている。高等学校時代に数学の得意であった先生は、こういうものを読んでもちゃんと理解するだけの素養をもっていたのである。文学者には異例であろうと思う。
高浜、坂本《さかもと》、寒川《さむかわ》諸氏と先生と自分とで神田連雀町《かんだれんじゃくちょう》の鶏肉屋《とりにくや》へ昼飯を食いに行った時、須田町《すだちょう》へんを歩きながら寒川氏が話した、ある変わり者の新聞記者の身投げの場面がやはり「猫《ねこ》」の一節に寒月君の行跡の一つとして現われているのである。
上野《うえの》の音楽学校で毎月開かれる明治音楽会の
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