て二三十句ばかりを作った。夏休みが終わって九月に熊本《くまもと》へ着くなり何より先にそれを持って先生を訪問して見てもらった。その次に行った時に返してもらった句稿には、短評や類句を書き入れたり、添削したりして、その中の二三の句の頭に○や○○が付いていた。それからが病みつきでずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通《かよ》ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井《うちつぼい》に移っていた。立田山麓《たつたさんろく》の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったものである。東向きの、屋根のない門をはいって突き当たりの玄関の靴脱《くつぬ》ぎ石は、横降りの雨にぬれるような状態であったような気がする。雨の日など泥《どろ》まみれの足を手ぬぐいでごしごしふいて上がるのはいいが絹の座ぶとんにすわらされるのに気が引けた記憶がある。玄関の左に六畳ぐらいの座敷があり、その西隣が八畳ぐらいで、この二|室《へや》が共通の縁側を越えて南側の庭に面していた。庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣《けんにんじがき》の向こう側には畑地があっ
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