然玄関払いを食わせる先生もあったが、夏目先生は平気で快く会ってくれた。そうして委細の泣き言の陳述を黙って聞いてくれたが、もちろん点をくれるともくれないとも言われるはずはなかった。とにかくこの重大な委員の使命を果たしたあとでの雑談の末に、自分は「俳句とはいったいどんなものですか」という世にも愚劣なる質問を持ち出した。それは、かねてから先生が俳人として有名なことを承知していたのと、そのころ自分で俳句に対する興味がだいぶ発酵しかけていたからである。その時に先生の答えたことの要領が今でもはっきりと印象に残っている。「俳句はレトリックの煎《せん》じ詰めたものである。」「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、それから放散する連想の世界を暗示するものである。」「花が散って雪のようだといったような常套《じょうとう》な描写を月並みという。」「秋風や白木の弓につる張らんといったような句は佳《よ》い句である。」「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、始めからうまい人もある。」こんな話を聞かされて、急に自分も俳句がやってみたくなった。そうして、その夏休みに国へ帰ってから手当たり次第の材料をつかまえ
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