た。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。この六畳が普通の応接間で、八畳が居間兼書斎であったらしい。「朝顔や手ぬぐい掛けにはい上る」という先生の句があったと思う。その手ぬぐい掛けが六畳の縁側にかかっていた。
先生はいつも黒い羽織を着て端然として正座していたように思う。結婚してまもなかった若い奥さんは黒ちりめんの紋付きを着て玄関に出て来られたこともあった。田舎者《いなかもの》の自分の目には先生の家庭がずいぶん端正で典雅なもののように思われた。いつでも上等の生菓子を出された。美しく水々とした紅白の葛餅《くずもち》のようなものを、先生が好きだと見えてよく呼ばれたものである。自分の持って行く句稿を、後には先生自身の句稿といっしょにして正岡子規《まさおかしき》の所へ送り、子規がそれに朱を加えて返してくれた。そうして、そのうちからの若干句が「日本」新聞第一ページ最下段左すみの俳句欄に載せられた。自分も先生のまねをしてその新聞を切り抜いては紙袋の中にたくわえるのを楽しみにしていた。自分の書いたものがはじめて活字になって現われたのがうれしかったのである。当
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