である。
こういうふうに考えて来ると、新聞記事というものは、読者たる人間の頭脳の活動を次第次第に萎縮《いしゅく》させその官能の効果を麻痺《まひ》させるという効能をもつものであるとも言われる。これはあるいは誇大の過言であるとしても、われわれは新聞の概念的社会記事から人間界自然界における新しき何物かを発見しうる見込みはほとんど皆無と言ってよい。しかるに一見なんでもないような市井の些事《さじ》を写したニュース映画を見ているときに、われわれおとなはもちろん、子供ですら、時々実に驚くような「発見」をする。それはそのはずである。映画はある意味で具象そのものであって、その中には発見されうべき真なるものの無限の宝庫が隠れているからである。こういう点では新聞の社会記事というものは言わば宝の山の地図、しかも間違いだらけの粗末な地図以上の価値はないと言ってもよい。
ニュース映画はこの意味において人間の頭脳の啓発に多大な役目をつとめるものでなければならない。この点にニュース映画の重大な使命がかかっていると言わなければならない。
ずっと前に、週刊ロンドン・タイムスで、かの地の裁判所における刑事裁判の忠実な
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