筆記が連載されているのを、時々読んでみたことがある。それはいかなる小説よりもおもしろく、いかなる修身書よりも身にしみ、またいかなる実用心理学教科書よりも人間の心理の機微をうがったものであった。今、もしも、こういう場面の発声ニュース映画の撮影映画が許容されるとしたら、どうであろう。多少の弊害もあるかもしれないが、観客に人間の本性に関する「真」の一面の把握を教えるものとしてはおそらく絶好な題目の一つとなるであろう。こういう種類のテーマでまだ従来取り扱われなかったものを捜せばいくらでも見つかりそうな気がする。近ごろ見たニュースの中で実におもしろかったのはオリンピック優勝選手のカメラマイクロフォンの前に立ったときのいろいろな表情であった。言葉で現わされない人間の真相が躍然としてスクリーンの上に動いて観客の肺腑《はいふ》に焼き付くのであった。
 こういう効果の中には自分自身でその場面に臨んだのではかえって得られないようなものも含まれていることを忘れてはならない。色彩と第三の空間次元を取り去ったスクリーンの上の平面影像は、事象により多くの客観性を付与し、そのおかげで、現場では隠蔽《いんぺい》される
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