ニュース映画と新聞記事
寺田寅彦

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)挨拶《あいさつ》したり

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一見|些細《ささい》な現象

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和八年一月、映画評論)
−−

 ニュース映画は新聞紙上の報道記事の代用または補充として用いられるものと通例考えられているようであるが、この両者の間の本質的な差別の目標については、少なくも自分の知っているだけの範囲では、まだあまり立ち入った分析的考察が行なわれていないように思われる。しかし、そういう考察を進めて行けば、その結果は、ニュース映画の将来の発展に対して、少なくもなんらかの指針となるべき暗示を生み出すであろうと想像される。自分はこの問題に関してまだ少しも系統的に考察をしてみたわけではないが、ただわずかばかり思いついただけのことをここにしるしてそういう考察の端緒とし、また後日の参考に供したいと思う。
 ある一つの市井の人事現象、たとえばある銅像の除幕式の光景の報道という場合の実例について考えてみる
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング