の平凡な光景がカメラの目からは非常におもしろく見えるのであった。昭和通《しょうわどお》りに二つ並んで建ちかかっている大ビルディングの鉄骨構造をねらったピントの中へ板橋《いたばし》あたりから来たかと思う駄馬《だば》が顔を出したり、小さな教会堂の門前へ隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり、また日本一モダーンなショーウィンドウの前にめざしの頭が二つ三つころがっていたりするのもやはりカメラの目を通して得られた小さな発見であった。
こういう目をもって見て歩いた新東京の市街ほど不思議な市街はおそらく世界じゅうどこを捜してもないであろう。極端な古いものから極端な新しいものまでが、平気できわめてあたりまえな顔をして隣り合い並び立って、仲よくにぎやかに一九三一年らしい東京ジャズを奏しているのである。こういうものに長い間慣らされて来たわれわれはもはやそれらから不調和とか矛盾とかを感ずる代わりに、かえってその間に新しい一種の興趣らしいものを感じさせられるのであろう。現代人は相生、調和の美しさはもはや眠けを誘うだけであって、相剋《そうこく》争闘の爆音のほうが古典的|和弦《かげん》などよりもはる
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