色彩を奪ってしまう。そうして空間を平面に押しひしいでしまう。そうして、その上にその平面の中のある特別な長方形の部分だけを切り抜いて、残る全部の大千世界を惜しげもなくむざむざと捨ててしまうのである。実に乱暴にぜいたくな目である。それだけに、なろう事ならその限られた長方形の中に、切り捨てた世界をもいっしょに押し縮めたようなものを収めたくなるのである。それだから、カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちはおそらく幾平方センチメートルの紙片の中に全|武蔵野《むさしの》の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう。少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九三一年における日本文化の縮図を収めるつもりで歩くのであるが、なかなかそううまくは行かない。しかしそういうつもりで、この特別な目をぶらさげて歩いているだけでもかなり多くの発見をすることがある。
 手近な些末《さまつ》な例をあげると、銀座《ぎんざ》の裏河岸《うらがし》のある町の片側に昔ふうの荷車が十台ほどもずらりと並べておいてある、その反対側にはオートバイがこれも五、六台ほど並んで置かれてあった。そ
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