意味は少しもないはずである。善用すればむしろ非常に好い効果をあげ得べき可能性を多分にもっているものである。
 近頃ある薬学者に聞いた話であるが、薬を盛るのに、例えば純粋な下剤だけを用いると、どうも結果は工合よく行かない、しかし下剤とは反対の効果を生じるような収斂剤《しゅうれんざい》を交ぜて施用《しよう》すると大変工合がよいそうである。つまり人間の体内に耆婆扁鵲《ぎばへんじゃく》以上の名医が居て、それが場合に応じて極めて微妙な調剤を行って好果を収めるらしいというのである。「それじゃ結局昔の草根木皮を調合した万病の薬が一番合理的ではないか」と聞いたら「まあ、そんなものだね」という返事であった。自分に必要なものを選択して摂取し、不用なもの有害なものを拒否し排出するのが、人間のみならずあらゆる生物の本性だということは二千年前のストア哲学者が既に宣言していることである。生物が無生物とちがうのもこの点においてである。
 これも近頃聞いた話であるが、稲の生長を助けるアゾトバクテルという黴菌《ばいきん》がある。また同じような作用をする原生動物《プロトゾア》がある。ところが最近の日本の学者の研究によると
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