うな教科書は明らかに汽車弁当に劣ること数等であろう。
 一体「教えるためには教えない術が必要である。」というパラドックスが云わば云い得られなくはない。
 中学校でS先生から生物学の初歩を教わったときの話である。主に口授を筆記するのであったが、たまたま何かの教材の参考資料として、英国製で綺麗な彩色絵の上に仮漆《ワニス》を引いた掛図を持出し、その中のある図について説明をした。その図以外に色々珍しい何だか分からないものの絵が沢山あってそれが吾々の強い好奇心を刺戟したが、勿論講義に関係のないそれらの絵については先生は一言も触れなかった。その不可解な絵が妙に未知の不思議の世界に対する知識欲を刺戟しそれがいつとなく植物学全体への興味を煽《あお》るのであった。もしもあの時に先生が掛図の色々の絵の一つ一つを残らず通り一遍の簡単な説明で撫《な》でて通ったのであったら、効果はおそらくまるで反対のものになりはしなかったかと想像される。
 教科書に挿入された色々な綺麗な図版などはおそらくこのS先生の掛図と同様な効果を狙ったものかもしれないが、これは失敗である。何故かと云えばS先生のは一と口うまいものを食わせて
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