るとやはりチューインガムを噛んでいるのであった。
 ニューヨークを立つときにペンシルベニア・ステーションで、いきなり汽車に飛び乗ろうとすると、車掌に叱り飛ばされた。「レデース・ファースト」と云うのであった。なるほど自分の側《そば》にお婆さんが一人立っていた。この車掌もやはりチューインガムを噛んでいたような気がする。あるいはそうでなかったかもしれないが、今考えてみると、どうしてもそうでなくては勘定が合わないような気がするのである。
 ナイヤガラやシカゴでは別段にこれというチューインガムのエピソードはなかったように記憶するが、これはおそらく、自分の神経がこの脅威に対していくらか麻痺しかけたためであったかもしれない。
 これは今から二十年前の昔話である。現在のアメリカでチューインガムがどれだけ流行しているかは知らないが、映画などの中に時々これが現われるし、モーリス・シュヴァリエー主演のチューインガムを主題とした映画が昨年あたり東京で封切されたくらいであるから、おそらく今でも相当の命脈を保っているものと考えてさしつかえはないであろう。これが日本でいつ頃から流行しだしたかは知らないが、自分の注意
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