尋ねて来る人は、たとえ真昼間でも、交番やら店屋などを聞き聞き何度もまごついて後にやっと尋ねあてるくらいなものである。
 この蛾《が》は、戸外がすっかり暗くなって後は座敷の電燈をねらいに来る。大きなからすうりか夕顔の花とでも思うのかもしれない。たまたま来客でもあって応接していると、肝心な話の途中でもなんでもいっこう会釈なしにいきなり飛び込んで来て直ちにせわしく旋回運動を始めるのであるが、時には失礼にも来客の頭に顔に衝突し、そうしてせっかく接待のために出してある茶や菓子の上に箔《はく》の雪を降らせる。主客総立ちになって奇妙な手つきをして手に手に団扇《うちわ》を振り回してみてもなかなかこれが打ち落とされない。テニスの上手《じょうず》な来客でもこの羽根のはえたボールでは少し見当が違うらしい。婦人の中には特にこの蛾《が》をいやがりこわがる人が多いようである。今から三十五年の昔のことであるがある田舎《いなか》の退役軍人の家でだいじの一人むすこに才色兼備の嫁をもらった。ところが、その家の庭に咲き誇った夕顔をせせりに来る蛾の群れが時々この芳紀二八の花嫁をからかいに来る、そのたびに花嫁がたまぎるような悲
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