供が歩くようになるまでは、ああ! だが、それも私の卑怯だろうか?

        六

 M氏の谷中ゆきは実行されなかった。せっかく最終の決心にまでゆきついた人々に、また新らしく他人を頼る心を起こさしては悪いという理由で、他から止められたのであった。氏は私のために谷中に関することを書いたものを持ってきて貸してくれたりした。
 私がそれ等の書物から知り得た多くのことは、私の最初の感じに、さらに油を注ぐようなものであった。その最初から自分を捉えて離さない強い事実に対する感激を、一度はぜひ書いてみようと思ったのはその時からであった。そして、その事を考えついた時には、自分のその感じが、果して、どのくらいの処まで確かなものであるかを見ようとする、落ちついた決心も同時に出来ていた。それが確かめられる時に、私の道が始めて確かになる。私は本当にあわてずに自分の道がどう開かれてゆくかを見ようと思った。
 私がそうして、真剣に考えているようなことに対して、本当に同感し、理解をもつ事の出来る友人は私の周囲にはひとりもなかった。そういうことに対してはTを措いて他にはないのに、今度はTでさえも取り合ってはくれ
前へ 次へ
全69ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 野枝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング