ない。けれど、今私を捉えている深い感激は、彼のいわゆる幼稚なセンティメンタリズムは、彼の軽蔑くらいには何としても動かなかった。そればかりではない、今日ばかりはそうした悲惨な話に、無関心なTのエゴイスティックな態度が忌々しくて堪らないのであった。
「他人の事だからといって、決して余計な考えごとじゃない、と私は思いますよ。みんな同じ生きる権利を持って生れた人間ですもの。私たちが、自分の生活をできるだけよくしよう、下らない圧迫や不公平をなるべく受けないように、と想って努力している以上は、他の人だって同じようにつまらない目には遇うまいとしているに違いないんですからね。自分自身だけのことをいっても、そんなに自分ばかりに没頭のできるはずはありませんよ。自分が受けて困る不公平なら、他人だって、やはり困るんですもの。」
「そりゃそうさ。だが、今の世の中では誰だって満足に生活している者はありゃしないんだ。皆それぞれに自分の生活について苦しんでいるんだ。それに他人のことまで気にしていた日には、切りはありゃしないじゃないか。そりゃずいぶん可愛想な目に遇ってる者もあるさ。しかし、そんな酷い目に遇っている奴等は
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